技術立国日本

ほんの数年前まで、日本を支えていたのはいわゆる「技術」と言われているものであったように思う。しかし、それはただの「技術」ではない。正確に言うならば「製造の技術」だ。これは、あるアイデアや発明があったとき、それをどのように「商品レベルへ生産コストを押さえて手ごろな大きさに納めるのか」という技術と言って差し支えがない。このような技術については古来より日本はお世辞抜きにしてぬきんでていただろうし、そうだったから加工貿易国として今の地位を築いてきた。


しかし製造のコストとは、主に製造に関わる労働者の賃金である。製造業は有りと有らゆる手を使って、価格競争を強いられる市場に対し、そのコストをカットしてきた。分かりやすいのは2つあり、1つはオートメーション、もう一つは労働賃金が低く貨幣価値の低い国での海外生産だ。

アメリカは節操のない国で100年ぐらいの先を見ない国ではあるが、次にどうなるのかはよく見ている。先進国になり、国民が豊かになると自然と労働賃金は高くなる。食品や石油といったやむ得ないものに関して、また軍事的な国家戦略上重要なファクターについては堅持しているところがある。ではそれらとあまり関わりがない(先進兵器開発は例外として)工業についてはどのように振る舞ったかというと、それは「特許」だ。つまりアメリカは自国が先進国であることを自覚し、生産技術を優先するより、発明を優先した。この点で有名なのはRumbus社やIBM社がある。また、汎用CPUメーカーで有名なIntel社やAMD社についても、Fabレス化が進んでいる。

このような先進国に見合った計画的な方針を展開する場合何が必要かを考えると、それはある意味自明で、「基礎研究の裾野を広げる」ことである。今のところ、アメリカのこの方針は肯定されており、世界の機器についてアメリカへパテントが渡らないものはほぼ無いと言っても過言ではない。しかし同じような立場である日本はどうだろうと考えるが、今の日本の研究者の扱いは驚くべきものである。

小泉内閣が発足し、ホワイトカラーエグゼプションや派遣労働法の改正で、企業によるいわゆる期限付労働者が、その時々に発生する必要とされる労働力の調整池として使われた。結果的に、本来「スキルの一時的な需要」に答えるべくあった派遣労働というのは、いわゆる「そのとき必要な単純な労働力」として使われるようになり、ノウハウの蓄積もなく、経営者について都合の良い貫流する労働力を生み出した。ただ製造業を続けるのであればそれも合理的な手段ではある。なぜならば、そこで求められる労働内容は「原則として」誰にでもできる事であるからだ。なおそれを逸脱した企業による派遣労働者の雇用は間違っており、そういう運用をした企業はその負債を払うことになるだろう。

さてそれらの世情を踏まえて今日本に何が起こっているのかを話す。まず先進国の国家戦略として基礎研究に重点を置くべきであることは前述した。そして誰にでも実行可能で、時々によって人員の必要量が変わるような作業内容については労働力としての派遣社員使用もやむ無しとも書いた。では日本の基礎研究をになう研究者はどうなっているのか。

まず国家戦略として基礎研究に予算を割くべきであるが、逆に予算を削減されている。1つか2の大学は現状維持されてはいるが、ほとんどの場合は予算が減っている。ここで注意しておきたいことは、現在の人間の文明レベル上、「一人の天才が1つの発明をすることによって革命が起きる」という時代はすでに終わっていることだ。人間の文明レベルは人間そのものの性能を越え、複数の人間が協同で組織的に研究しなければ何も生み出せないところに実際来ている。一点集中、という予算配分ではもう無理なのだ。そのように予算が削られた場合何が起こるだろうか。

研究者というものは、基本的に組織を運用したり、経営能力を発揮したり、等と言うことがほぼ「無い」。こと、経営能力にかんしては、一般の自営業業者よりも「劣る」。そうした場合、予算は少ない、研究者は必要、ではどうすればよいか。「そうだ、派遣が流行っている。うちもそうしよう」、こうなのだ。これは冗談に聞こえるかも知れない。しかし事実だったりする。

研究者の求人サイトには、企業なら驚くような条件が並んでいる。「○○と○○に顕著な研究業績があり、また○○の経験があり、○○ができる人。年齢は○○才まで。待遇は任期1年で、時給は○○円」。これが一つや二つならまだ良いが、おしなべてこのような求人なのだ。つまり雇用側の研究者には経営感覚が無いので、「要求したい条件」を正直に「全て」書き、そして要求の一つとして「そう言う事ができるパートタイマーが欲しい」というわけである。誰にでもできる作業について日雇いのような一時的労働者を雇用するのは問題無いが、彼らが要求しているのは「限られた人しかできないような内容で、誰にでもできる作業内容の求人待遇」、これを充たす人を捜しているのである。

全体が全体の待遇レベルをそこへおけば誰かは止むなくそこへ行くだろう。しかし研究という積み重ねが必要な分野であるが故、それを行えば積み重ねは無くなり研究は滞る。つまり継続した研究は無くなる。

小泉内閣がおこした潮流が、研究者の世界へ波及したのは7年程度前である。現在は、団塊の世代とその後期世代がそれらの決定権をもって7年程度前から上記の運営を行っている。人の世代交代は約30年と言われている。おそらくは、今世代、前後15年程度の世代がその支配階級になったとき、おそらく日本は手の施しようのない技術後進国になっているだろう。世代というものは離散的なものでは無いのだ。